東工大学で今日以下のシンポジウムがあったらしい。
国際シンポジウム 「クール・ジャパノロジーの可能性」二日目
「日本的未成熟をめぐって」
●登壇者
東浩紀(批評家)
黒沢清(映画監督)
宮台真司(社会学者)
村上隆(現代美術家)
キース・ヴィンセント(比較文学者)
なんと豪華な登壇者。
聴講者たちがtwitterで実況中継を沢山していて、どのような話がされていたのか知ることが出来た(′∀`)スゴイー
まず、日本は未成熟であるらしい。
未成熟≒かわいい
かわいいはコクーンに入ったままアクティブにふるまうためのツール
↓
未成熟なまま性的になる事が可能
↓
性経験が「成熟」を意味しないものに
↓
性経験の記号化
宮崎駿は社会へのコミットメントは興味ない。描きたいモチーフしか描かない
→確かに。その非現実性に癒されるのも事実だけれど。
一方、私の好きな村上春樹の作品には社会へのコミットメントがあると思う。彼の作品を読んでいると「新聞読もう!」と思えるもの
黒澤清のアバター批判(twitter投稿者たちがすごく興奮していた笑)
アバターについては賞賛しか聞いたことが無かったから衝撃的だった。
村上隆
かわいい=死
「なんで今ペット産業が活発になっているのかっていうのを考えると、ペットの死と人間の生は密接につながっている。本質的な「カワイイ」は死であるのではないかと。だから今
かわいいキャラクターが全員特攻して死ぬ映画を作っている。
かわいいものが死んだときに感じるカタルシスを表したいんです」
吹っ飛んだアイデアに最初はポカンとしてしまったけれど、その映画を観てみたいと思った。
映画監督(黒澤清)にしてもアーティスト(村上隆)にしても、アートや社会をかなり鋭く見つめた上で作品を作っている。深い
それぞれのパワーポイントが見てみたかった。